四国大学「藍の家」には、多くの古布や布製品が資料として保存されている。 私が惹かれ手にしたのは、濃紺に染められた生地に、刺し子で「中川松」と入れられた布袋だ。
いつ作られたものなのか、正確にはわからないし、中川松は名前なのか、屋号なのかはっきりはしない。
用途は、外出時に貴重品を入れ懷にしまう財布のようなもので、 日常的に使われていたと思われる。 綿から糸を紡ぎ、糸から布を織る、布を藍で染め、縫製する。
痛みやすい部分には、補強のための細かな刺し子を入れ耐朽性をもたせてある。
当時はあたりまえであっても、現代の感覚では、気の遠くなるような手仕事の集積であり布袋となって使われるまでに、はたしてどのくらいの時間を要しただろう。
破れたところは何度も補修しており、当時は、布が大変貴重なものであったことを伺い知ることができる。
ただ、どうにも野暮ったい雰囲気で粗末である。良くも悪くも手作り感に溢れている。
これは製品として販売されたものではなく、家族の為に身内の誰かが作ったものだ。
生地は買ったかもしれないし、自ら織って染めたかもしれない。 だが縫製や刺し子は、使い手の無事を願った家族が、一針一針に心を込めて刺したに違いない。
布袋の背景に見えてくるのは、家族の祈りと深い愛だ。
この一途な命の営みにこそ、私は強く心を動かされたのだ。
阿波藍とは、徳島でつくられる「すくも」のこと。
すくもは、藍の乾燥葉を100日程度をかけ発酵させてつくる染料となるもの。
その生育から、葉藍に含まれるインディゴ色素を濃縮させる技術は、徳島で受け継がれてきた仕事だ。 原料となる蓼藍は一年草だから、年に一度しか作れない難しさ、年に一度しか経験を積むことができない難しさがある。
染色で発酵の技術を使うのは藍のみ。 葉藍からすくもをつくるときも、すくもから染料液をつくるときも、目には見えない微生物の力が働いている。
現代においては、この「発酵」が微生物の働きによるものだと解明されているが、 昔の職人はこの現象をどのように捉えていたのだろう。
どうか良い藍が育ちますように どうか美しい色がでますように 自然を敬い、その恵みに感謝し、時には神に祈る気持ちでいたに違いない。
祈り、願い、目には見えない変化の気配を察する。 そんな、先人の努力や意識の積み重ねによって、阿波藍は今日まであり続けてきたのだ。
刺し子の布袋は、お守りのように、心の拠り所であり続けただろう。 阿波藍をつくる職人は、微生物の声を聞いただろう。
足元の豊かさを見つめ、その礎を築いた先人の暮らしに思いを馳せるとき、わたしたちは ”青い色だけに心を動かされているのではない” ということに気づく。
暮らしへの眼差し、地域に対する愛情を持って、その価値を深く考えたい。 そして、色だけではない阿波藍を未来へ正しく伝えます。
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