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デザインは発注者以上のものにならない

徳島県が2017年に発表した「藍とくしまロゴマーク

どこへ行ってもついてまわるこのマークに不快感を抱きながら、ここ数年の藍の現場と向き合ってきた。

 

そもそもこのロゴマークは、藍の現場から要望されたものではなく、徳島県が「東京オリンピックのロゴマークを作ったデザイナーを話題作りのために起用したい」という意図であったと思われる。また同年に条例として制定された「とくしま藍の日」は東京オリンピックの開会式の日であって「藍の作付けや蒅づくりには何ら関係ない日」だった。この決定にどのような経緯があったのかわからないが、徳島県のこの邪な思惑は、オリンピック自体ががコロナ禍により延期となり見事に外れた。

 

HP上に残る質疑からもわかるように、デザイナーは記者会見の前年の秋に初めて徳島へ来てこのロゴを制作している。来県が10月だったとすれば制作期間はおよそ3ヶ月程度だろう。おそらく「寝せ込み」は始まっていたと思われるが言及されていない。このロゴマークは、徳島県の誇る「藍」の生産振興と利用拡大を推進するために作られたとHPに書かれているが、記者会見の時点で "蒅については勉強中" ?? どうやらロゴは阿波藍(蒅)が何かを理解してないまま作られていたと思われる。もちろん鳴門や祖谷へ行っても構わないけれど、藍はほぼ作ってなかったであろう土地でのファーストインプレッションではロゴに求められる役割と整合性がとれない。落合集落?鳴門の海の藍色?徳島県は藍のロゴマークを作るためにいったいどんなアテンドをしたのだろうか?その辺を厳しく突っ込んで欲しかったが、藍のことを理解する記者はいなかったようだ。何が問題かといえば、阿波藍とは徳島で作られる蒅(すくも)のことで、蒅とは蓼科の一年草である藍を原料とする染料のことだから、蒅作りを見ないまま作ってしまったマークに意味が感じられないのは当然で、デザイナーを鳴門や祖谷ではなく吉野川流域の関連施設へと案内するべきだった。

 

 

知事(前)が藍のことを詳しく知らないのは当然だし、アテンドの精度からわかるように県職員の理解度の低さは折り紙付き、デザイナーは蒅が何かわからない、記者も阿波藍が何か全く知らない。その場には藍のことを知らない人、分からない人ばかりが居合わせて「藍のロゴマーク」の記者会見をしている。今更ですがこれ何の茶番ですか?

 

 

そして藍への理解がないまま作られたこのロゴは、意識の低い県側の運用で重大な問題が起こる。

徳島県連が阿波踊りで着用する浴衣にこのロゴマークが入っているのだが、その浴衣はなんと化学染料で染められており藍関係者からは疑念の声が上がった。徳島の誇る藍とは何か?化学染料を振興するのか?

 

徳島新聞社の記事でも化学染料の浴衣について疑念が指摘されているにも関わらず、前知事はこの翌年もこの浴衣を着て何食わぬ顔で阿波踊りに出ている。僕はこの行列に加わった連中を絶対に見過ごすことはできない。徳島県のXにこのポストが残っていることからも、化学染料の浴衣で顔を晒す職員には罪の意識など全くないということだろう。どんな神経をしているのかと人間性を疑う。つまりロゴマークについても、藍の日の制定についても、藍は話題づくりの手段であって目的ではなかった。県に初めから藍に対する愛情などなかったのだ。

 

徳島で藍に関わっている者でも本質そっちのけで権力側に乗っかりたい性根が腐った者もいれば、「またか、」と懐疑的に見ている者もいる。職員が「事業者間の調整」という重要な仕事を放棄し、知らん顔をして要望されていない事業を推し進めれば我々事業者同士での分断が進む。それは僕らが企画している勉強会とは真逆のベクトルだ。「東尾さん怒ってる」と言われるのは毎度お約束だけど、これだけ舐められて怒らない方がおかしい。

 

勝手に作って勝手に運用の解釈を変える、都合が悪くなればゴールの位置をずらす手法は今の政治と同じだ。このような面倒で事業者に愛されないものができるのは、デザイナーの技量に問題があるのではなく、発注者の無知や無学、土足で上がりこんでいることに気づかない横暴さにある。デザイナーの職能はデザインをすることだから「藍のことはわからない」のは当然で、発注者側が藍に対し本質的に興味も愛情もないために、デザイナーがあるべき姿を具現化できないのは必然の成りゆきといえる。たとえば僕や藍染研究会に意見を求めてくれたら「現場は求めていない」ことをお伝えできたとは思う。藍の振興に必要なものはロゴマークや公務員の自慰行為ではないことは、現場から話を聞けばすぐにわかることだ。(藍染研究会総会で散々お伝えしたが)おそらくはトップからの指示でデザイナーを起用せざる得ない状態であったと思われるが、何か他の関わり方がなかっただろうか。

 

 

県庁に職員が何人いるのか存じ上げないが、先ずその全員がデザインの特性を理解していない。または我関せずで愛情のベクトルが自分の方ばかりに向いてる人間の集団ということだろう。僕からすれば身勝手に伝統産業の領域に土足で上がり込んで荒らす職員も、それを見て見ぬふりをして不正を隠蔽してきた職員も皆が同罪で、現場の人間が望まないものを身勝手に作り何の反省もない。あんたらは一体何様のつもりだと僕は言いたい。真面目に向き合うべきだ。

 

 

常に守られた立場にいて痛みのわからない職員が深く考えないまま発注すれば、誰も望まない、誰も責任を取らない現場とかけ離れものができる。結果そういったものを押し付けられるのは日々藍に関わっている僕らだ。

デザインは発注者以上のものには絶対にならない。 

 

 

観光課による藍産業振興協会を使った不正が明るみに出たら、職員2名だけを処分したが隠蔽に加担していた多くの職員は処分されていない。トカゲの尻尾切りをしておいて「これまでの関係を見直しリセットして」と言い出すどうしようもない勝手さ。白々しくとぼけてゲームのリセットボタンを押すような感覚は「卑怯」というしかない。



この高校では藍を育てて蒅を作ることはできるが、デザインや流通を教える人はいない。

このロゴはSDGsとかエシカルとか六次化と相性が良いらしく、だいたいの印刷物に仲良く並んでいる。深く考えずに上から流れてくる印をそのまま受け取ってしまう徳島の大人は大丈夫か?それで本当に学生のことを考えているといえるだろうか?

 

また低価格でこうした仕事を受けていることを「バングラディシュみたいな」という県職員がいる。そこには差別的な意識が潜んでいるし、自分たちの組織が招いている現状に対して無責任過ぎると感じた。このロゴが教育現場に良い影響を与えているとは考えにくく、SDGsと同じで運用を丸投げされた大人が思考停止状態に陥っている実例だろう。

 

✳︎藍の栽培から蒅作りの取り組みは素晴らしいと思っています。こんな取り組みができる高校はどこにもないです。

  この愛されないマークは県庁職員の意識そのもので、責任を負わない人ばかりが県庁の一室に集まっても"まともな企画"などできないことを示している。当たり前だが先ずは本当に必要なものかどうか議論されるべきだった。このブログに何度も書いているが「県庁職員はあくまでも調整役」でありディレクターのような立場になるべきではない。


このマークができて以来、観光課や県民文化課で競うように藍関連の大きな予算が消化されてきた。

今思えば、社会の在り方(文化に対する行政の干渉)を常識的で正しいものしようとするために、もっと声をあげるべきだった。知事が交代したことで少し風向きは変わったが、職員の意識は何ら変化はない。むしろ責任から逃れるために引きこもり接触を断とうとしている。県の担当者はどんどん移動してもらって構わないけれど、次の担当者を紹介する文化はないのは困る。それでも僕らは粘り強くあたらしい担当者と話してお互いの仕事や役割を確認してゆくだけだ。僕は先の知事選挙で後藤田知事に投票した。それは組織の変革や職員の意識改革を期待したからに他ならない。そしてこうして発信している想いをいつかキャッチしてもらえると信じている。あの職員が関わったあの浴衣で阿波踊りに行くことは流石にもうないだろう。

 

このように抗議や異議申し立てをする人は社会から疎まれるが、その役目を引き受ける大人がいなければ、この土地の未来に気づくことはできないと僕は思う。

 

 

 



昨年の展示「暮しの中の藍布」報告誌が完成しました。

これも同じように「デザインは発注者以上のものにならない」と感じています。

ただ、たくさんの方にご協力いただいたことで、ようやくここまでできたという感謝と充実感があります。

 

批判するだけではなくて、自分自身が純度の高い活動に身を投じていないと説得力がない。

もっとやれたし、もっといいものを作りたいという想いはまたブログに書きます。


 

 

 


米谷弘子さんの藍染手ぬぐいが届きました。

27日(土)からは「阿波藍灰汁建ての会」がスタートします。久しぶりに阿波藍の手仕事がお店に並びます。

 

 


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