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デザインの特性について考える


今年も四国大学で"デザインマネジメント"の授業に登壇させていただきました。

拙い授業ではございますが、こちらも毎回全力で取り組んでおります。

飽きない内容にしなきゃならないのはもちろんですが、時間配分が難しいと毎回感じています。

 

お客さまからちょいちょい「どんなこと話してるんですか?」と尋ねられるのですが・・・

僕の仕事の守備範囲の実感で「デザインマネジメント」に相応しい(であろう)内容を捻り出してお話させてもらっています。たまに民藝っぽい話もしますけど、こっちはこっちで話すのが難しいですね。。

 

 

 



さて、毎年題材としているのがこの「原発広告」です。


これはもう14年程前の某雑誌の広告ですが、文字組みが素晴らしく古さを感じさせない良いデザインです。

学生に感想を話し合ってもらったら、イラストの良さやキャッチコピーの秀逸さを挙げてくれる方が多かった。

そうなんですよね、これとても難しいテーマの広告ですが、見やすくきれいな紙面に仕上がっています。

 

しかし、よくよく考えれば相馬焼とプルサーマル計画は全く違うかけ離れた事案であって、おそらく相馬焼は関係者の許可なくここに引っ張り出されている。(徳島の藍にも共通する地場産業の難しさがある=望んでもないロゴを勝手に作られる等)結果としては読者に対しこれらがが並列することの強引さや違和感を悟られずに、原発の必要性や安全性を伝えることにデザイナーの力が注がれ、クライアントや代理店から提供される情報を、忠実に視覚化させた結果このような広告ができたはず。この「残念ながらよくできている紙面」を見ているとデザインとは中身のないものをあるように見せたり、安全ではないもを安全なように見せるものではないと実感する。


デザイナー自身が原子力発電のリスクについて無知であったか、ある程度は理解していたが片目を瞑りながら作業したのかはわからない。いずれにせよ自分が手がけるものならば「良いものを届けたい」「美しいものを作りたい」そんな純粋な一心で自分の力を使ったはずだ。これがもし自分が生きてゆくために仕方がないという「人質を取られているような仕事」だったと考えると、戦時中のプロパガンダ広報誌「FRONT」とも性質が近い。


当時はこの広告の違和感に気づく人はほとんどいなかったはずで、誰にも気づかれることなく目標地点へと着地したデザイナーの仕事は成功だったといえるだろう。  

相馬焼は東京電力福島第一原発から約10キロほど離れた浪江町大堀地区で作られてきた。この広告が掲載された約3ヶ月後に発生する東日本大震災において「想定外だった」とされる大きな被害を受け、帰還困難地域となり多くの窯元が廃業に追い込まれる。


相馬焼に携わってきた人がいまこの広告を見たとするなら、どのような気持ちだろうか。

 

 

僕が授業でこういった題材を選べるのは、地元に原発がないからだと思います。(正直、少し躊躇いますが)

授業の最後にはそもそも何で「原発」が気になるようになったか・・・という原体験の話もします、、汗、

 

僕が学生の皆さんに伝えたかったのは「デザイナーは責任がある」「無自覚のうちに何かの片棒を担いではいないか?」ということです。サブタイトル How do you live. には、これから経験を重ねて「何かに気づき寄り添える」仕事をして欲しいという願いを込めています。

 

 


 

 

 

西村佳哲さんや、その著書「なんのための仕事?」から受けた影響は本当に大きいです。

授業が終わると西村さんに「お世話になりました」と呟いた次第です。

 

徳島県の作った「藍のロゴマーク」のことはまた次回書きますが、藍のこと知らない人が藍のこと知らない人に発注して税金使って実感と離れた愛されないものができる。結果そういったものを押し付けられるのは現場にいる僕らです。現場の声を無視した土足で上がり込むような事業の連続は、後のダッチワイフ事件につながっていく。振り返れば、もっと声をあげるべきだったと僕は思う次第です。


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