お店を始める前に山陰を旅していた時のことだ。鳥取民藝館で開催されていた益子展に足を運んだが、自分が欲しいものがなく、民藝館でこのクオリティのもがどうしてあるのかわからず、買えなかった・・・そんな感想を後に訪れた、ある窯元さんで話したところ「それは違う、山陰には作り手を育てるという文化があるんだよ」と教えてくれた。
そして「セレクトショップは咲いてる花を摘んで並べるだけだからね」とやんわりと苦言を呈された。
飲食業や旅行関連の業界と同じように、物販業も大変な2年間を経験してきた。ネット通販を導入したお店も多いだろう。そんなコロナ禍で、こんなハガキやメールがどこからともなく届くようになった。
展示会に行かなくても、新しい商品が仕入れられるとか、返品ができるとか、
世の中の物販店も問屋さんもいろいろ工夫されているなあと思う。
一方で、自分の店も、モノを販売しているお店だけど、やってることは全然違うんだなと実感する。
咲いている花を摘んできて並べる仕事は、勤めている時に十分やったし、それが多勢に求められていることもわかる。ただ、どちらかといえば小さく咲いているもの、気づかれないものを集めるのが得意だったと思うけれど、資金力がある大きな会社にいたからこそできたことだとも言える。
店から一歩二歩と踏み出していくと、大きな組織にいて横柄になってることに気づかない人や、土足でどんどん上がり込んでいる輩ばっかりと出会うことに辟易する。挙げ句の果てには自分の吐いた毒がまわってきて動けなくなるけれど、お店を始める前の自分がどうだったか?と、当時の感覚を思い出してみたらやっぱり幼い。大学の藍の家にアポもなく上がり込んでくる連中とそれほどは変わらない気がする。
あの頃、山陰を旅していた自分は「咲いている花が欲しかった」のだ。ものづくりで根を張ってゆこうとする作り手の生活など見えてなかったのだと、思い出す度に当時の自分を恥じている。できるだけ買って作り手の生活を支えなくては、ものづくりは継承されないということが、今ははっきりとわかる。
自分の生業である「店」は、作り手と配り手、使い手が、「共に歩み、よく生きる為の装置」であって、いわゆるセレクトショップや雑貨屋さんとは違う。時間をかけながら違うものになったとプライドを持って言える。
そして、この場を死ぬまで続けてゆくことが、自分の人生をかけて全うするべきことだ。
週末からは大橋くんの受注会がはじまります。
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