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spring into a new life.

これから共に歩んでゆく仕事、地域にある可能性を育てるような仕事・・・これらの自分の店を構成する"ある基準の商材"を並べるのはなかなかに難しい。世の中で「民藝」「手仕事」と呼ばれているもの、それでいて志の高い仕事は限られているから、どこの店にでもあるものではない。

 

ある線をはっきりと超えている仕事、これから共に歩んでゆく仕事、地域にある可能性を育てるような仕事・・・

自分の店を構成するべき "ある基準を超えた商材" が揃えば、もっと手仕事の価値を伝えることができるだろう。

 

この世界の品物は人が思うほど沢山は作れないし、その貴重な仕事をどこに送るのかは、最終作り手が決めることだから、相当面白く魅力的にやってないと良い品物は並ばない。そこには明確な競争があって、地域的な要素も歴史の積み重ねも含め店の実力が問われる。どうして徳島に民藝店や工藝店と呼ばれる店がないのか?その理由が痛いほど身に染みる。

 

良かれと思った自分の振る舞いでご迷惑をかけることもあれば、時間をかけて作ってきた関係に土足であがられることもある。経済や商売になればスケール感のあるところが優遇されるし、ひとつの取引先にも商売以外に文化や社会的な意義といったものが重なれば、立場や目的が違う人が出入りする訳で、品物を分けてもらうことがどんどん難しくなる。僕の立場は小売店だから「卸」をしてもらえないと仕事のお付き合いはできない。作り手の立場になってみれば直接売るよりも安く出して得られるメリットなんか本当にあるのだろうか?自社で売場や売先が確立されていれば必要ない、と考えるのが普通だろう。良くても優先順位としては最下層に位置する仕事となるはず。だからこそ「卸」に意味や価値を感じてもらえるような取り組みを考え続けているし、限られた仕事を分け合うことも大事だと考えている。いずれにしても店の価値を高め続ける努力が必要と・・・分かってはいるけどなかなかうまくいかない。

 

 


 


それでもこうして長く待ち続けているものが届くと「やらなければ」という新しい気持ちで売場に立てる。それは自分自身の喜びと同時に「大事なものをお預かりする」という責任感だ。

 

だからゾンビみたいに、何度でもひつこく立ち上がって心の中で叫ぶ「店しかない」と。


 

 



 

 

 


いま、徳島市のトーコーヒーさんと一緒に大谷焼のカップを制作していて。森陶器の森 崇史さんにお世話になってます。試作はなかなかにいい仕上がりで期待大です。地元のものを地元で売るのはわりと難しいし、手間ばかりかけてしまう小さな仕事だけど、若い人の入口となれる可能性は大いに感じているし、限られた地元の貴重な手仕事を通じ喜びを分かち合うことは、地域の将来にいい影響があると信じています。

 

6月にトーコーヒーさんが企画しているイベントがあるので、おそらくそこでもお披露目できるのではないかと。イベントの話を聞いていると10年前の自分を見ているような気もして・・笑 

 

彼らは生きる力に溢れていて話すといつも元気をもらう。

何より自分たちの関わっているコーヒーの世界に「何かを返したい」という姿勢や信念に強く共感しているので、少しでも協力したいと思っています。

 

 


この3年まあまあしんどかったし、昨年夏あたりからさらに厳しい。

また春が来た。痛みを忘れず気持ちを入れ直して何度でもあたらしい自分になる。


 

厳しい戦いは続く「店しかない」


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